「現在、資料を作成しています」「現在、資料を作成しております」
ビジネスメールやプレゼンテーションの場で、私たちは現在の状況を伝えるためにこれらの言葉を使い分けています。一見すると、語尾が少し長くなっただけの丁寧な言い換えに見えるかもしれません。しかし、日本語の敬語体系において、この二つの言葉の間には「自分をどの位置に置くか」という決定的な哲学の違いが存在します。
「しています」と「しております」。その本質は、「存じます」と「思います」の違いにも通じるように、「動作を丁寧に描写する『丁寧語』」なのか、それとも「自分の動作を低めることで相手を敬う『謙譲語』」なのか、という点にあります。前者は事実をフラットかつ丁寧に伝えるための「報告」の言葉であり、後者は自分の存在を相手よりも一歩下げることで敬意を示す「献身」の言葉です。
AIによる自動文章生成が普及する中で、私たちが直面しているのは「正解すぎるがゆえの冷たさ」です。機械的に「しております」を並べるだけの文章は、時に慇懃無礼(いんぎんぶれい)に響いたり、血の通わない事務的な印象を与えたりします。今、ビジネスパーソンに求められているのは、状況と相手の心理的距離を測り、この二つの言葉を「体温」を持って使い分ける力です。この記事では、文法的な構造から、相手に与える安心感の差、さらには「しております」の乱用が招くリスクまで徹底解説します。読み終えたとき、あなたの言葉選びは、単なるマナーの遵守を超え、相手との信頼を築くための精密な「ツール」へと進化するはずです。
結論:フラットな丁寧さが「しています」、一歩下がる敬意が「しております」
結論から述べましょう。これら二つの決定的な違いは、「自分をどこまで下げるか」という謙譲の度合いにあります。
- しています:
- 性質: 「丁寧語(です・ます調)」。 「している」に「ます」をつけたもので、相手に対して失礼のない標準的な丁寧さを持っています。
- 範囲: 同僚、他部署の親しい相手、あるいは事実を客観的に報告する場面。過剰な敬意が不要な際に使います。
- 焦点: 「事実の伝達」。自分と相手を対等なプロフェッショナルとして扱い、物事の状況を正確に伝えることに重きを置きます。
- しております:
- 性質: 「謙譲語(丁重語)」。 「している」の謙譲表現である「いたしております」を簡略化したもので、自分の動作を低めて表現します。
- 範囲: 顧客、上司、社外の要人、あるいは公式な発表。相手を敬い、自分を低く見せるべき場面で使います。
- 焦点: 「敬意の表明」。動作の内容そのものよりも、その動作を行っている自分自身の「姿勢」を相手に捧げるニュアンスが含まれます。
要約すれば、「事実を丁寧に伝えるのが『しています』」であり、「自分を低めて敬意を尽くすのが『しております』」です。この微細な使い分けが、文章全体の「格」を決定づけます。
1. 「しています」を深く理解する:過不足ない「信頼」の距離感

「しています」は、動詞「する」の進行形「している」に、丁寧の助動詞「ます」が結びついた形です。この言葉の最大の特徴は、その「ニュートラルさ」にあります。相手を不当に高く評価しすぎず、自分を卑下しすぎない、健全なビジネスパートナーシップにおいて最も機能する言葉です。
例えば、プロジェクトの進捗をチームメンバーに共有する際。「本日から着手しています」と言うことで、余計な情緒を排除し、事実としての「着手」が伝わります。ここに「しております」を多用しすぎると、かえって話の本筋がぼやけたり、他人行儀な印象を与えてチームの結束を弱めたりすることさえあります。
フラットな組織運営においては、「しています」をベースに使いこなすことが、スピード感と透明性を両立させる鍵となります。「丁寧だが、壁を作らない」。この絶妙な距離感を保つための言葉として、「しています」の持つ価値を再評価すべきでしょう。
「しています」が最適なケース
- 社内の日常的な報告: 「先ほどのメール、確認しています。」
- 対等なパートナーとのやり取り: 「新しいデザイン案を検討しています。」
- 客観的な状態説明: 「現在、システムは正常に稼働しています。」
2. 「しております」を深く理解する:プロとしての「謙虚さ」という戦略

一方、「しております」は、補助動詞「おる」の丁寧形です。「おる」はもともと、自分の存在を低めて表す謙譲の性質を持っています。これを使うことで、あなたは「私はあなたのために、このように動いております」という、献身的な姿勢を無意識のうちに相手に植え付けることができます。
ビジネスは感情のやり取りでもあります。顧客に対して「お待ちしています」と言うよりも、「お待ちしております」と言う方が、相手は「大切にされている」「優先されている」と感じます。これは単なるマナーではなく、相手の承認欲求を満たし、良好な関係を維持するための「戦略的な言葉選び」です。
ただし、注意点もあります。「しております」は自分の動作にのみ使えます。相手の動作に対して「お客様がしております」と言うのは致命的な誤用(尊敬語と謙譲語の取り違え)であり、洗練されたビジネス環境では、一気に知性を疑われる原因となります。常に「自分の動作を、相手のために低める」という意識を持つことが、この言葉を正しく扱うための鉄則です。
「しております」が最適なケース
- 顧客へのメール: 「ご依頼の件、現在鋭意進めております。」
- 上司への状況報告: 「部長にご指示いただいた通り、資料を修正しております。」
- 公的な自己紹介: 「私は〇〇株式会社で営業を担当しております。」
【徹底比較】「しています」と「しております」の違いが一目でわかる比較表
文法、場面、相手に与える心理的影響から両者を比較します。

| 比較項目 | しています(Polite / Neutral) | しております(Humble / Respectful) |
|---|---|---|
| 敬語の種類 | 丁寧語(相手への配慮) | 謙譲語・丁重語(自分を低める) |
| 心理的距離 | 近い・フラット | 適切に離れている(敬意) |
| 主な使用シーン | 社内、同僚、親しい取引先 | 顧客、上司、公式な場 |
| 相手への印象 | 誠実、明快、親しみやすい | 謙虚、プロフェッショナル、礼儀正しい |
| 多用のリスク | 目上には「軽い」と思われる可能性 | 慇懃無礼、他人行儀、重苦しい |
3. 実践:文章に「品格」を宿らせる使い分け3ステップ
情報を正確に伝えつつ、相手との信頼関係を深めるための実践的な手順です。
◆ ステップ1:相手の「立場」と「期待」を特定する
まず、メッセージを送る相手があなたに何を求めているかを考えます。
実践:
「確実な情報共有」を求めている同僚 → 「しています」を選択。
「敬意を伴った誠実な対応」を求めている顧客 → 「しております」を選択。
ポイント: 相手があなたに「一目置いている」か「親しみを感じている」かが判断基準です。
◆ ステップ2:「文章のバランス」を調整する
一通のメールの中に「しております」が何度も登場すると、くどい印象を与えます。
実践:
文末がすべて「しております」にならないよう、「しています」や「〜です」を混ぜてリズムを作ります。
重要な一文(結論や約束)にだけ「しております」を使い、他は「しています」でスッキリさせます。
効果: 強弱がつくことで、本当に伝えたい敬意が際立ちます。
◆ ステップ3:AI生成文の「温度」を手動で補正する
AIは、安全性から「しております」を過剰に提案する傾向があります。
実践:
AIが作った「〜しております」という文章を読み返し、他人行儀すぎると感じたら「〜しています」に書き換えます。
特に、親しい仲でのやり取りにAIを使う場合は、あえて「しています」に崩すことで、人間らしさを演出します。
効果: 「機械が書いた感」を払拭し、あなたの真心を伝えます。
「しています」と「しております」に関するよくある質問(FAQ)
Q1:社内の先輩に対して「しております」を使うのは硬すぎますか?
A:関係性によりますが、直属の先輩であれば「しています」の方がスムーズです。しかし、あまり会話をしたことがない他部署の先輩や、尊敬の念を強調したい場合は「しております」を使うことで、礼儀正しさがアピールできます。迷ったときは「しています」で失礼になることは稀ですが、「しております」は少し壁を作る表現だと覚えておきましょう。
Q2:「いたします」と「しております」はどう違いますか?
A:「いたします」は動作の「宣言(これからする、または完了)」に近く、「しております」は動作の「継続(今やっている最中)」を指します。顧客への約束なら「対応いたします」、現在の進捗報告なら「対応しております」と使い分けるのが正解です。返答表現まで含めて敬意の温度感を整えたい場合は、「了解」と「承知」の違いも実務で役立ちます。
Q3:「おっております」という表現は見かけますが、正しいですか?
A:基本的には「しております」が標準的です。「おっております」は少し古風、あるいは非常に謙虚な響きを持ちますが、現代のビジネスシーンでは「しております」で十分です。また、「おる」を尊敬語と勘違いして、相手に「社長が事務所におっております」と使うのは誤りですので、絶対に避けましょう。
4. まとめ:言葉の「語尾」があなたの信頼をデザインする

「しています」と「しております」。このわずか数文字の違いを使い分けることは、単なる敬語のテクニックではありません。それは、あなたが目の前の相手との関係をどのように定義し、どのような距離で仕事をしたいと考えているかという、あなた自身の「意志」の表れです。
- しています:対等な立場で情報を正確に運ぶ、論理と信頼の言葉。
- しております:相手を尊重し、自らの誠実さを捧げる、情熱と敬意の言葉。
私たちは、言葉を通じて世界と繋がっています。どんなにテクノロジーが進化し、コミュニケーションが高速化しても、言葉の端々に宿る「相手への思いやり」は、決して代替不可能な価値を持ち続けます。「この報告には、誠実な事実だけを乗せよう」「この返信には、一歩下がった敬意を込めよう」。その一瞬の選択の積み重ねが、あなたというビジネスパーソンのブランドを形作っていきます。
今日から、メールの送信ボタンを押す前に、一呼吸置いて語尾を見つめてみてください。その語尾は、相手にとって「心地よい距離」になっていますか? 正しく選ばれた「しています」と「しております」は、あなたの文章にプロフェッショナルな品格を与え、相手の心に深い安心感を届けるはずです。言葉を操ることは、関係を操ること。あなたの言葉選びが、明日のビジネスをより豊かで実りあるものに変えていくのです。
参考リンク
-
国語施策(文化庁)
→ 文化庁が公開している日本語政策の総合ページです。敬語の指針や公用文作成の考え方など、日本語の敬語体系や丁寧表現の基準となる資料がまとめられており、敬語の使い分けを理解する基礎情報として参考になります。 -
敬語の指針作成に関する資料(文化庁・国語分科会敬語小委員会)
→ 文化庁の国語分科会で議論された敬語の指針作成に関する資料です。敬語の考え方や運用の整理が示されており、丁寧語や謙譲語の社会的役割を理解する参考になります。 -
敬語小委員会配布資料(文化庁)
→ 文化庁の敬語研究会で配布された資料を公開したページです。敬語の使い方や指針策定の背景が示されており、現代日本語における敬語表現の位置づけを理解することができます。

